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| 1977年4月16日というとサンフランシスコで「第一回ウエストコースト・コンピュータフェア」が開かれ、アップル社の新機種Apple
IIがお披露目された日でもあるのですが、実はその場にひとりの日本人がいたんです。 彼はのちに日本でのApple製品総輸入元にもなるESDラボラトリー社の社長、水島敏雄氏。別の仕事で訪米したついでにたまたま寄ったイベントで、彼はブロック崩しゲームに人々が群がっているブースを発見しました。 不思議に思った水島氏。近くにいた説明員に 「これってテレビゲーム?」 と尋ねます。すると説明員は 「No,no!これはわが社で開発したパーソナルコンピューター『Apple II』のデモンストレーションです」 と答えたそうな。 説明員の話を聞きすっかりそのマシンが気に入った水島氏。あとでその説明員から貰った名刺には [アップルコンピュータ社副社長スティーブ・ジョブズ] と書かれていたのでした‥。 これが日本人とApple製品との衝撃的な出会い。 水島氏は数日後、ジョブズから貰った名刺を頼りにApple社にその足で出向き、更に4ヶ月後には再びApple社にアポなし突撃。そして代理店契約の書類にサインをして、トラベラーズチェックでApple IIを一台購入して、外国製コンピューターにはバカ高い税金がかかるというので「テレビゲーム機」として税関を通過させ、1977年8月、ここにAppleのマシンが日本初上陸を果たしたのでした。 パチパチパチ。 ちなみに、このApple IIの日本上陸時に水島氏の通訳係兼運転係として同行したのが、Apple社と日本で最初に業務提携をした東レ、の子会社「TRC」の曽田敦彦氏。水島氏も以前は東レの研究員で、その時の同僚なんだって。その曽田氏と、この時彼らと交渉にあたったApple社の営業部長ジーン・カーター氏との縁が元で、老舗合繊メーカーとベンチャーパソコン会社の異なる組み合わせが後に実現したんだなぁ。縁は奇なり。 |